昨日、私の所属する社労士会の事務所を巡って、1.現行のまま。2.別のビルに借り替え。3.購入する。との意見がなかなかまとまらないということを記事にしました。
読者の方からコメントをいただいて「山手線をグルグル回っているよう」という絶妙な比喩がありました。
この比喩でふと、パレスチナ紛争もそんな感じでちっとも解決の糸口がないなあと思いました。
ガザ地区の強硬派が3年前からイスラエル側に砲撃をしかけていて、威力があまりないので大した被害はなかったものの、イスラエルも黙っているわけにはいかず攻撃を開始したそうなのですが、攻撃開始から3日でパレスチナ側の犠牲者は350人、イスラエル側はたったの4人という報道もあります。
痛ましいのは、ガザ地区の犠牲者がほとんど民間人であり、子供もたくさん含まれているということで、見るのが辛い映像が連日流されています。
湾岸戦争の頃ですから、もうかれこれ20年近く前の話ですが、パレスチナ自治政府の高官という方の講演を聴く機会がありました。
その方が子供の頃(第二次大戦前後の頃)、パレスチナにはユダヤ人とパレスチナ人が共に住んでいて、「隣人」として互いに仲良く暮らしていたそうです。
パレスチナ人には「困っている人がいたら助ける」という風習が強く、第二次大戦下、ナチスの迫害から逃れてきたユダヤ人をかくまったパレスチナ人もたくさんいた。
それなのに、ユダヤ人がイスラエルを建国して結果としてそこに住んでいたパレスチナ人は追い出され、難民となってしまった。
自分自身もかつて幼い頃住んだ懐かしい我が家に、現在は見知らぬイスラエル人が住んでいる。
できることなら、レモンツリーが風に揺れるわが家の庭にもう一度立ってみたい。
そんな結びの言葉で終わって、他の部分はほとんど忘れてしまったのに、そこの部分だけ今でも覚えています。
多分にプロパガンダ的な講演だったとは思いますが、その数年前にパレスチナ人の作家、カナファーニーの「太陽の男たち」を読んで、パレスチナ難民の悲惨な状況について考えさせられていた私には、すとんと心に響くものでした。
建国の段階で、人口の3分の1ほどだったユダヤ人に国土の3分の2以上を与えた国連決議に無理があったということだと思いますが、一般市民レベルでは共存共栄を願っていたのではないかという気がします。
国家の都合の前には個人の気持ちなんて簡単に粉砕されてしまうのでしょう。
「山手線グルグル」に入り込んでしまったこの問題を片付けるのは容易ではないと思います。
ニュースを見るたびに、ただただ平和を祈るしかないなあと思っています。

